シャーロキアンの冒険

元出版社の販売営業マンの備忘録です。

型を身につける意義

www.huffingtonpost.jp

ハフィントンポスト(言い辛い)の記事です。何やら物議を醸しだしそうな内容なんですが、この記事の内容の是非ではなく、コメントに注目すべき話が記されていたので、この話を取り上げてみたいと思います。

ハフィントンポスト(言い辛い)の、この記事は要点は「学校則はどこまで行うべきなのか」といったものです。何から何まで決める必要があるのかないのか、という社会ルールの学校版みたいなものなんですが、ひとつ言えることは、型にはめると管理しやすい、ということがあります。

ばらばらになっているものを、菓子折りの箱のように均等に区切り順序よく並べると、変なものを発見しやすく、管理が簡単になります。

そして、学校則ですから、集団行動という社会の一員になる前の訓練規定とも言えます。その決まりをどこまで指定するかは様々な意見があると思います。

ところで、規定範囲は横へ置き、「型」というものがどのような意味を持つのか。これが今回のツボです。

スポーツや音楽、あるいは書道・茶道などをやった人は経験していると思いますが、よく話に出る「初めは誰でも素人」というその人たちがどのように上達していくのか。そこに「型」が出てきます。まずは手本になる人を真似ること。いわゆる基本動作。これを反復して徹底的にからだに覚えさせることが初めに行うことです。

この基本動作を習得すると、そこから先、いろいろな動きが身につきやすくなります。基本をマスターしているので応用が利きやすいということです。逆に基本の「型」を覚えてない場合は、自己流、我流となります。基本の「型」を習得した人よりも応用の利く範囲が偏ります。

大切なことは、大事なことであればあるほど「型」をマスターしておくこと。そして応用ができるということは基礎ができているということ。勉強も同じです。もちろん人には個人差がありますから、基礎の習得時間も違えば、応用が利くことにも違いがでますが。

ブログを書く場合にしても、インプットしているものがなければアウトプットはできません。また、インプットといっても同系統の情報だけではなく、他のジャンルなどのインプットを流用、使いまわしにより、アウトプットも様々に変化させることもできます。

クラッシック音楽でピアノの基本を習得した人が、別ジャンルのジャズピアノをインプットして演奏(アウトプット)するようなものです。たいていのジャズピアニストは子供の頃にクラッシックピアノを学んでいます。

世界的に活躍する人たちも初めは素人であって、死ぬほど基礎の反復練習をしていたという話はよく聞くことです。

ハフィントンポスト(言い辛い)の学校則の規定範囲は、特に時代に左右されることかもしれませんが、学校則を否定しているわけではありません。しかし、この記事を書いた方も規定範囲に対して妙な反論をされています。基礎から応用という順番を理解されていないのかな、という感じです。

以上、今回の備忘録でした。